細川侯五代逸話集
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第一章 現代語訳編 ―「随聞録」の世界―15幽斎公(1534~1610) 戦国武将でありながら、歌学、茶道、音曲、庖丁(料理)、刀剣鑑定、有職故実など、あらゆる学術芸能を極めた屈指の文化人であった。天文3年(1534)、三淵晴員の次男として生を享うけた幽斎は、13代将軍足利義輝に仕えたが、15代義昭の京都追放後は一転信長の家臣となった。天正8年(1580)に丹後内の十二万石余が長男忠興に与えられたことを受けて丹後宮津に入り、城主となった。この時の名は長岡藤孝。その後、いわゆる本能寺の変にあたって、明智光秀の勧誘を拒絶、剃てい髪はつして幽斎玄旨と号し、田辺城に移った。天正13年には羽柴(豊臣)秀吉の奏請によって二位法印に叙せられた。慶長15年(1610)、京都三条の自邸で没した。

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