若槻菊枝の生涯
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枝さんは、東京ではコンプレックスの塊だったという。 人に何か言われると恋人に助けを求めていたような人物が、後に人をハッとさせる強さと行動力を発揮して、水俣病患者を支えていたのだから、人間という生き物は興味深い。 本書が、一人の人間が行動することの意義を、深く考えるきっかけになることを願っている。

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