熊日釣り情報

熊本日日新聞 釣り欄取材メモ

大魚の波間に跳るを

苓北町 都呂々漁港
平成25年1月12日

 1月12日は新月。午前6時、苓北町の都呂々漁港真っ暗です。すでに6人が遊漁船の晃規丸(樋口國松船頭)に乗り込んでいます。熊本市からだと車で2時間半ほどかかるので、皆さんは深夜3時すぎに家をたっているはずです。

 同港から1時間ほど走って停船したのは長崎県の野母崎半島と天草下島の中間付近の天草灘。早崎瀬戸の入り口に当たる海域です。本来、潮の流れは速く、しかも複雑です。たまに恐ろしい三角波も出るそうで、釣りどころか「操船も難しい」と樋口船頭。

 新月なので、当然この日は大潮。絶好の船釣り日和です。ところが、なぜか潮が流れません。アジの泳がせ釣りでヒラメ狙いですが、潮が悪く、低調でした。その代わりに大型の沖アラカブが上がりました。

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 江戸後期の漢詩人、頼山陽は文政元年(1818)8月23日、長崎を舟でたち、島原に向かいます。途中、千々石沖で大風浪に遭い、舟は転覆しそうになります。翌日、やや大きな舟で富岡の城下にやってきます。山陽は「長碕の謡 十解」と題する漢詩にその時の様子を次のように記しています。

 「濤勢呉越より来り、萬里一に沓まり蹙る。舟之が為に掀翻せられ、繋泊孰れに向かはんと欲する。舟人腕脱けんと欲し、櫓を揺かして島いんに達す」

 波が相当高かったようです。波は呉越(中国)から万里を越えてきて、一点に集まって迫ってきます。舟は翻弄され、大きく揺れます。舟人は腕がもげるくらい必死に櫓を漕ぎ、天草下島北端の富岡の港に着きました。

 富岡に向かう途中、山陽は何か青物の大物をちらっと見たのでしょう。「天草洋に泊す」という漢詩で「瞥見す大魚の波間に跳るを」とよんでいます。

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 同日、残念ながら青物の大物は姿を見せませんでした。(掛)

  • 大型のオオモンハタが浮いてきた。右後方は野母崎半島
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