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早いもので今年もあとわずか。
出版部も今年の納品はすべて終わりました。
振り返ると、今年は熊本地震に尽きますね。
亡くなられた方、けがをされた方、家が全・半壊の方、
そのほか、地震によってさまざまな被害を受けられた方、
あらためまして心よりお悔やみと、お見舞いを申し上げます。
もう二度とこんな怖い目はごめんですね。
当時の状況を思い出すと今でもゾッとしますが、
そんな中、「さすが日本人だなあ」と、
感心したことがありました。
本震数日後の深夜のこと。
停電と断水でお風呂にも入れないため
近くの温泉施設に行きました。
湯船は芋を洗うような人だかり。
洗い場にも30~40人が並んでいました。
最後尾に並んでいると、
誰が始めたか分かりませんが、
老いも若きも、洗い終わった人が「終わりました!」と手を上げ、
次の人がその洗い場に―。
真夜中に粛々とその光景が繰り広げられていました。
日本(熊本)人の規律正しさと優しさに
感動すら覚えました。
復興はまだ半ばですが、
来年こそはすべての人にとって素晴らしい年になりますように…。
それでは皆さま、よいお年をお迎えください。
来年も熊日出版をよろしくお願いいたします。 (と)
午前1時すぎの温泉施設。みんな疲れてはいましたが、
復興に向けての一筋の光を見た夜でした -
今年も早かったですね。いつも以上に早かった…。
今年を振り返るのは、まだほんの少しだけ早い?
いえいえ、ロアッソ熊本の2016年シーズンのことです。
先月12日の対FC岐阜戦でひと足先にホーム戦が終了し、同20日のアウェイ・対セレッソ大阪戦で今シーズンの全日程が終了しました。
目標のプレーオフ進出には届かなかったのですが、赤馬戦士は十分頑張ってくれました。
2016年はまさに“激動”と呼ぶにふさわしいシーズンだったと思います。
一時は首位に立つほど好調をキープしていたシーズン序盤の4月14日と16日、あの熊本地震が起こりチームとしての活動が中断。自宅が被災し避難生活を余儀なくされた選手もいて、リーグ戦への復帰さえ危ぶまれた時期もありました。
そんな中、Jリーグからある提案がなされました。それは、一時的にチームを県外に移してリーグ戦に復帰するか、もしくは熊本に残って活動するか。選手たちの出した答えは―
「熊本に残る」
文字にしたらたったの5文字ですが、ものすごく重い決断だったと思います。
サッカー選手としてコンディションのことだけ考えるのであれば、別の選択をしてもおかしくなかったのに。
「熊本に残る」という選択を為すには、練習もままならない、本拠地・うまスタは被災した上に支援物資の集積拠点になり使えないなど、多くのマイナス要素を抱え込まなければならなかったからです。それでも残るという決断を下した選手たち。
誇らしく頼もしい男たちです。
過密日程を言いわけにせず、敗戦が続いても決して弱音を吐くことなく、ただ前だけを見つめて、1試合1試合、気持ちを込めて戦ったロアッソ熊本。
彼らの姿を見て、どれだけの人が元気づけられたでしょう。
どれだけの人が“自分も頑張れる”と勇気を奮い立たせることができたでしょう。
どれだけの人の心の中に、新しい希望の種を撒き、芽吹かせることができたでしょう。
運営会社アスリートクラブ熊本の皆さんも、今シーズンはクラブ発足史上、最もハードなシーズンを過ごされたと思います。困難な状況の中、試合を開催してくださってありがとうございました。
来年、また新しいシーズンが始まります。
一人でも多くの方のもとへ、ロアッソの試合結果に一喜一憂する日常が戻ってきますように。 (くっしー)
感謝の集いでのワンショット。今シーズンメンバーでの最後の記念撮影
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師走も半ば―。
その時は突然やってきました!!忘れもしません…( ;∀;)。
7月25日朝、自転車で通勤途中に取り逃がし、
その2カ月後も捕獲未遂に終わったカビゴン。
3度目の正直で、ついにわが手中に…(( ´艸`)。12月14日、新暦での討ち入りの朝、
たまたま家を出るのがいつもより10分ほど遅くなり、
午前8時すぎ、ゆめタウンはません横を
会社へ向かっておりました。すると、7月に取り逃がした同じ場所で
画面右下にカビゴンの影が現れました。
「カビゴン!! きょうこそは捕まってくれ~」と
ばかりにカビゴンの影を2~3回、撫でたところ
“ブッ、ブー”と何らかのポケモンが現れた音がして、
あのカビゴンが…。今回は落ち着いて自転車から降り、
まずはズリのみで弱らせ、
せっせとためておいたハイパーボールを
気合とともに「エイ!」と投げると
なんと1回で、
彼は捕獲されたのでした!先々週、交通事故に遭い
ちょっとへこんでおりましたが、
いいこともあるものですね。 (と) -
拙宅の引っ越しを機に「終活」「断捨離」のつもりで本を整理しよう、と一念発起した。が、高校卒業以来何度も引っ越ししているのに40年以上もずっと持っている文庫本、やっぱり今回も捨てきれなかった。破れたり汚れたりしているのに、絶対読み返すことはないのに、本棚に入りきれないのに、それでも捨てられない…。なんなんだろう、本って。
古い流行歌を聴くと、自然と当時のことを思い出してしまう。特に、付き合っていた人がいたら、その人の思い出が鮮明に蘇るのは私だけではないだろう。だけど、本を開いても誰かの顔を思い浮かべたりすることは滅多にない(童話や絵本を読んであげた子供は別にして)。本は一人で楽しむもの、自分だけの世界に入るためのツール。いろんなことを教えてくれる親であり、友達であり、師でもある。今の自分を形成している血や肉、骨をつくってくれたような気がする。好きな本を捨てるということは、大げさに言えば、自分の人生の一部を捨てることに等しいような気すらしてくる。
引っ越しの準備を始めた頃の気合いはどこにいったのやら、結局ほとんどの本が新しい家に移った。傷んだ表紙は自分と一緒にいろんな場所を旅した証。多分この家が終の棲家だから、単行本の前で窮屈かもしれないが、君たちもやっと安住の地で暮らせることになったわけだ。おめでとう、というべきか、いや、お疲れさまでした。だな。(U)
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師走の慌ただしい時期に
人生初の交通事故に遭遇。
通院を余儀なくされています。それでなくとも今年は地震で、
心にぽっかりと空洞ができ、
マラソン大会に向けての走る気が失せておりました。
熊本城マラソンまで、いつの間にかあと2カ月余りとなり、
「もう走らねば…」と思っていた矢先の出来事…。
腰と首に痛みが残り、
一番大事な時期を棒に振ってしまいそうです。せめてもと近くの江津湖を
そろそろと散歩。
短く美しい冬落暉の中、
鴨の群れが湖面に漂かび、
癒やされました。「レット・イット・ビー」
「ケ・セラ・セラ」
「なるようになる」
と自分に言い聞かせつつ、
江津湖を後にしました。 (と) -
こんにちは。
熊本もめっきり寒くなってきました。「地味にスゴイ 校閲ガール」というドラマ、ご存じですか?
ここ出版部でのお仕事にも共通していることが多いので
私も興味津々で見ています。原作にしろドラマにしろ、フィクションなので現実的には
あまりない設定だったり、大げさな展開だったりするわけですが、
話を面白くするための演出なのでしょうね。普通の職場風景を普通に描いたら、かなりグダグダなドラマに
なってしまいますからね。そういうものです、ドラマというものは。ハイ。前回のストーリーで、当たり前のことを当たり前だと思うのは、
影で当たり前を作っている人がいるから、という言葉がありました。
校閲の仕事だけでなく、公園の遊具で安全に遊べるのは点検している
人がいるから、電車が当たり前に走るのはそれを点検したり枕木の
交換が行われているから、電気を使えるのは、高圧線の点検をしたり
電線の劣化がないか調べたりしているから、知らないうちに点検が
されていて安全が保たれている。メンテしている人達の存在を忘れるぐらい当たり前に提供する。
それが当たり前を作ってる人達の目指してること。校閲の仕事もそういう役割なのでしょうね。
出版に関して言えば、校正・校閲以外にも編集、デザイン、印刷など
それぞれの役割を果たしてはじめて一つの本が出来るのです。いろんな人たちが働いているんだな~と改めて思った今日このごろ。
それにしても、あのドラマに出てくる石原さとみさん演じる河野悦子さんの
ファッションは素敵ですね~。
私なんて、元が元だし、歳が歳なんで、とうていマネできません。
(マネしたら怖いですね、きっと)私の妄想ワールドではきっと、こんな感じになるでしょう ↓ (ヤッコ)
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全国新聞社出版協議会の北海道・東北ブロック会議に招かれ、
秋田に行ってきました。
経由地の羽田空港では40数年ぶりの11月の雪。
秋田も日中で0度、翌日は終日、雪…と、
冷凍庫の中にいるようでした。しかし、会議はなかなか熱く、
各社抱える問題をざっくばらんに話し合いました。
わたしもいろいろと質問を受けたり、質問をしたりして
喉がからからになりました。
会議の内容は企業秘密の部分が多いので割愛しますね( ´艸`)。さて、お待ちかねの懇親会です。
さすがに秋田。乾杯から日本酒でした。
各社が持ち寄った東北各県の日本酒がずらり。
どこのお酒もおいしかったのですが、
中でも青森の『じょっぱり』(熊本弁で言うと「肥後もっこす」)が
淡麗辛口ながら旨みもたっぷりで気に入りました。サプライズで18歳と19歳の秋田舞妓(まいこ)さんが登場し、
踊りを披露してくれました。
戦前は200人近くいた川反(かわばた)芸者を復活させるべく
2014年に発足。現在、3人の舞妓さんで頑張っているそうです。イベントなどに参加するほか、
1時間1万円の花代でお座敷にも呼ぶことができるそうです。
定年はなんと25歳。
『どうしてこの世界に入ったの?』と聞くと、『唄と踊りが好きだから』。
『25歳以降はどうするの?』との質問に、
二人とも、『できたらお嫁さんにいきたい…』と笑顔で話してくれました。秋田出身が条件で、郷土の伝統文化の継承のため
厳しい稽古に励んでいる舞妓さんたち。
秋田の観光振興にもつながればいいですね。 (と)秋田県立美術館前のクリスマスツリー。
みるみる雪が積もっていきました
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2日目
天気 晴れ
行程 8㌔(4時間半)
法華院温泉山荘~諏蛾森避難所下から九住別れ~星行先~星生山(1762㍍)~西千里浜
~扇ケ花分岐~沓掛山(1503㍍)~牧ノ戸登山口山荘の朝は早く、3時過ぎから人の動きが始まりました。
ベテラン登山家の友人は耳栓をして寝ているので熟睡したようですが、
耳栓なしのわたしは人の歩く音で目が覚めます。
6時前、朝風呂へ。四肢を伸ばし
「きょう一日何とかもってくれ~」と足をもみほぐしました。
(親指は痛くて触ることもできませんでした…)
山荘から大船山(1786㍍)が目の前に。
朝焼けがきれいでした。
そういえばきのう一緒に飲んだ鹿児島のおじちゃんも
大船山に登って帰ると言ってました…。レトルトのカレーと親子丼をそれぞれ朝食とし、
7時20分法華院温泉山荘を後に。
一晩寝たくらいで足の痛みが治まるわけもなく
途中から裸足で歩こうかと思ったほどでした。
下山後、友人から再度、言われました。2日目も快晴。星生山山頂を目指しました
「靴を借りたら絶対ダメ!!」
九州本土初登山を果たした友人。(屋久島の宮之浦岳は過去に登ったらしい)
来年はミヤマキリシマの季節にまた来ると言って、
熊本駅で別れました。
来年はマイシューズを購入し、
友人より前を気持ちよく歩こうと思っています。 (と) -
先に着いた友人が、
法華院温泉山荘の入り口付近で
大きな丸を描きました。やっとの思いでたどり着いた法華院温泉山荘
もうろうとした足取りのわたしは
何のことか分からず近づいて行くと
「キャンセルが出た!! ここに泊まれるぞ!」と友人。
たぶんわたしのことを思ってのことでしょう。
地獄に仏とはこのことです。
このまま坊がつるの避難小屋で泊まったら
疲労と寒さで、たぶん今頃……。持って行った寝袋やヘッドランプ、その他諸々は
無駄になりますが、いいんです。
急に元気が出て、まずは山荘でビールによる乾杯!!
ワインにつまみ類も買ってきて、
これこれ、これをわたしは最初から願っていたんです。白口岳から一緒に下りてきた同年代の鹿児島のおじさんとも合流。
おじさんは外にテントを張ってからやってきました。
早速、山男の2人は、関東、関西の山に登るときは、
ぜひ一緒にと、電話番号等の交換をしていました。山荘の夕食も最高! ビールも焼酎もワインも最高!!
温泉も最高!!! 最高づくめの3連発で
9時過ぎには爆睡状態に陥りました。
(月もなく快晴だったので、星空を見ればよかった…と翌朝後悔しましたが…。)山荘の夕食。「生きててよかった~」を実感した瞬間でした! (と)
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東京在住の友人から
「福岡に出張するから、土、日を利用して、
久住山でも一緒に上らないか」との連絡。
「いいよ」とわたし。(「牧ノ戸辺りの温泉にでも泊まって、
酒でも飲んで…」と一人、妄想したりしておりました)その後、友人から「こっちの避難小屋はトイレはあるが、人が多い。
もう一つの避難小屋はトイレがない分、人は少ない。どっちにする?」と写真が…。
「えっ!!!」とわたし。
そう言えば彼は2週間に1度は、名だたる山を一人で登る真の山男…。会社の海男S氏にザック、寝袋などを借り、
朝5時半に出発。
友人をホテルに迎えに行き、
7時半過ぎに牧ノ戸に到着したものの駐車場はほぼ満杯。
やっと最後の1台分が空いていました。(ラッキ―!!)1日目
天気 快晴
行程11㌔(7時間)
牧ノ戸峠~沓掛山(1503㍍)~久住山(1787㍍)~中岳(1791㍍)~稲星山(1774㍍)~白口岳(1720㍍)~法華院温泉山荘朝、久住山に登る途中は雲海も出て、
遠く、阿蘇涅槃が横たわっていました。
目の覚めるような紺碧の空。
どの山頂からの景色も素晴らしく、
友人もこんな快晴は今年一番と
喜んでいました。雲海に眠る阿蘇涅槃 (上) 重いザックを置き九州本土最高峰・中岳を目指す
中岳山頂から御池を望む (上) 5座目の白口岳。下りが大変でした
練習不足は否めませんが、わたしもアスリートの端くれ。
2日前にリレーマラソンを走りましたが、
友人に遅れは取るまいと思っておりました。しかし、買えばいいものを、
元登山部の甥っ子の靴を借りたのですが、
これが致命傷に…。
上りはいいのですが、
下りになると、親指が詰まり、
痛くて歩きにくいことこの上なし。しかも、避難小屋に泊まるべく、
マットや寝袋、食料でずっしりのザック…。
ごろ石つづきの登山道は歩きにくい上、
氷や霜が解けて、とてもすべりやすくなっていました。
(特に白口岳から法華院温泉に降りる道の急坂なこと。
足先は痛むは、滑るはで大変な目に遭いました…)わたしが遅れて見えなくなるたび
前を歩く友人が声を掛けます。
「お~い!生きてるか~!!」
「なんとかな~」
この会話を何十回繰り返したことか。「靴さえちゃんとしていれば…」。
じだんだを踏む元気もないくらいの
足の痛みでした。午後2時半過ぎ、足を引きずりながら
昼食を取るべく、法華院温泉山荘に到着。
イベントがあっていて、たくさんの山ガール、山男でにぎわっていました。
ここから坊がつるの避難小屋まではあとわずか。
小屋の周りには華やかな色合いのテントが数十張り見えていました。 (と)